追悼文


    本多弘男さんを偲んで

  誰からも愛され親しまれたアキバの名物オヤジ本多さんが、6月6日に64歳の生涯を閉じられました。 本多さんは、学生時代から秋葉原の電気街に出入りさ れ、1963年にいち早くコンピュータの周辺機器や電気部品を取り扱う会社「本多通商」を創業されました。 1980年代半ばに入り、本多通商は経営破綻 に陥り、本多さんは(株)栄電子に就職されて仕事を続けられました。 その後、本多さんにアキバに再登場してもらいたいとの思いで、本多さんの応援団有志 が資金を出し合って1993年に立ち上げたのがぷらっとホーム株式会社です。

 私が本多さんとお付き合いを始めた のは1980年代に入ってからです。 それ以前の秋葉原での本多さんの先見性溢れるご活躍ぶりは聞きかじりですが、マイコン、パソコン通信等々の草分け的 な存在として数々の伝説的な業績を残しておられます。 今日本を代表するインターネット業界のお歴々の中で本多さんのお世話になった先生方も数多いと伺っ ています。

 この20年余り一歳年下の本多さんから兄貴と呼ばれ、親しくお付き合いさせてもらった中、懐かしい思い出は山ほどあります。 そ のうちいくつかの例について披露することで追悼の辞とさせていただきます。

ぷ らっとホームの設立
  50歳を迎えられた本多さんのために会社を設立して、アキバでもう一旗上げて活躍してもらおうとの発起人の呼びかけに応じて、私も出資に一口乗せていただ いた。 その設立を祝うパーティが盛大に開催され、私もご挨拶をさせていただき、その際に本多さんにプレゼントしたのが下の似顔絵です。 もう1枚、幼年 時代の本多さんを想像して、「6歳のときの本多さん」と題するポートレートもお贈りしたが、それをスキャナーで取り込まなかったため手元に残っていないの が残念です。 もっとも、お別れ会で拝見した若かりし頃の本多さんの写真は、どれも裕次郎ばりのイケ面で、私の想像から大きくかけ離れていました。 今に 思えば、イケ面からほど遠い似顔絵をお渡しして、本多さん内心気を悪くされていたのではないかと心苦しく感じている次第です。

本 だしの会
 本 多さんの仲間は、本多さんはもとより押しなべて乗りの良い人たちばかりです。 また、人との出会いを大切にする方ばかりです。 アキバの方々やベンチャー が集まって、お酒を酌み交わし、語り合い、楽しみつつ人の輪を拡げる交流会を定期的に開こうとの話が持ち上がった。 誰かをダシしにして集まるというのは どうか。 一番ダシ、2番ダシ、3番ダシ、出がらし、ダシは多い方が良いと。 その際、会の名称をなんとするかということで知恵を絞らせていただいた。そ の結果、本多さんを会長に据え、名称を「本だし(本多氏)の会」とすることにした。 本だしの会はその後何度か開催し、それがわれわれSNEEDの交流会 の前身となったとわけです。

 本多さんにとって最も思い出深かった本だしの会は、2001年10月27日の会では なかったと思います。 その1年ほど前に本多さんから電話を頂いた。 語尾を上げつつ間延びする調子で「ひらっさ~ん」(本多さんから正しい発音で「ひら たさん」と呼ばれた記憶が全くありません)、続いて「うちの息子が今度結婚することになった。ついては仲人をしてもらえないか」とのご依頼を受けた。 結 婚披露宴は、250余名のご出席のもと某ホテルで盛大かつ大変和やかに行われました。本多さんご自慢の跡取りご子息のお披露目をかねた宴であったが、冒頭 の仲人挨拶でついつい「本日の会は、本多さんにとって本だし中の本だしを肴とする正真正銘の本多氏の会です」と宣言させていただいた。 本多さんにとって 人生最良の日であったのではないかと感じた次第です。

大 相撲観戦
  本多さんが土俵のすぐ近くで(溜まりと言いますが)、大相撲を観戦してられる姿をテレビでご覧になられた方も多いと思います。 本多さんの相撲通は相当の もので、この10年余り、1月、5月そして9月に東京で開催される初場所、夏場所、秋場所にはほとんど連日秋葉原から目と鼻の先に位置する両国国技館に足 を運んでられました。

 もっとも、本多さんが相撲ファンになられたきっかけを作ったのは私です。 私事になります が、子供の頃から大の相撲ファンで、社会人になってからも本場所の観戦を楽しみとしていました。 15年ほど前に両国国技館に本多さんをご招待したことが あります。 本多さんにとっては生まれて初めてとのこと、大変楽しまれ、あの独特のダミ声で、「魁皇ガンバレー」、「ワカノハナー」などと大声で叫んでら れたのを思い出します。 それがきっかけで、相撲に大いに興味を持たれ、夢中になられ、両国国技館に足しげく出入りされるようになったと伺っています。

  東京での本場所が始まると、「ひらっさ~ん。 今度の土曜日時間取れない?」、「日曜日はどう?」といった電話をいただき、テレビに映る溜まりの席で、ほ とんど毎場所本場所を堪能させていただきました。 もう、本多さんと大相撲観戦をご一緒できなくなってしまったと思うと寂しい限りです。


  本多さんとの思い出は尽きないです。 本多さんは、人との出会いを大切に、人を楽しませることを生きがいとされていました。 お酒も飲めないのに宴会好 き、のりがよく、常に場を盛り上げ、雰囲気を和やかにして下さいました。 気さくな性格、動物的な勘の持ち主、目利き、新しがりや、せっかち、好奇心旺 盛、ちょっぴり寂しがりや、誰からも愛される人・・・

 衷心よりご冥福をお祈りいたします。

2008年7月31日 記
平田康夫

                     本多弘男氏肖像(平田画)

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